「どうなりたいか」ってなによ、ってはなし

こんばんは🌆nです。

今日も平和に無職ライフを
送ってた私ですが、


なんか、こうつらつらと
自分の感情が出てくる時があって


Twitterにぶわー書いてたんですけど
長くなりそうなんで
ブログに書こうと思います。




















学歴もなくて、なんの資格も特技もない、
そんな自分が憧れたお洒落なお店で
8年半働いて、


人生を変える思いで
外資系営業職に飛び込んで


得たものはなんだったかな。
ある意味の達成感?自己満足?


収入は倍になった。
憧れたスーツ姿で名刺を差し出して
名前だけは一丁前で。



その分自分を見失った。
ちっぽけな自信は跡形もなく崩れた。
手にいれたはずのお金は消えた。
借金だけが残った。


お金への欲がなくなった。
未来への期待がなくなった。
働くことへの意欲がなくなった。
「めんどくさい」という感情だけが残った。



スーツを着れば、正社員になれば、
給料が上がれば、名刺を持てば、

まともになれると思ってた。





私は10代から
一つの言葉が呪いのように頭にこびりついていたりする。







「自分には、なにもない。」





この言葉にいつもいつも行き着いてしまう。




それはある意味呪いのようで


人から見れば衣食住が確保され
愛する家族や彼氏もいる、充分「ある」じゃないか、と思うかもしれない。


実際私もそう、思う。




なにもない、と思いたいだけなのだ私は。
きっと。

悲劇のヒロインぶっているだけ。








なにもない、以前に
なにもしてない、だけだ。






満たされたいけど
楽に満たされたくて

その結果が、借金なのだと私は思う。




いくらお金があろうと
聞こえがいい職に就こうと


私は私のままでいる限り
きっと一生満たされない。






自己肯定感、だとか、自己愛だとか
まずは自分を愛すること、だとか


よく聞きはする。



聞きはするけど


私の場合それらが歪曲しまくって
自分のことが嫌いすぎて逆に執着してるような一種の歪んだ愛情のような
感情が蠢いてるような感覚。





自分のことで精一杯なのに
精一杯な自分のことですら
ろくに管理ができない。





自分を好きになる以前に
自分を手放したい、と言ったら
わかってくれる人も少なからずいるだろうか。





自意識に洗脳されきっている。




じゃあ、その自意識を手放すには



寝る か
楽しむ か
没頭 するか



なんじゃないかなあと思うわけで。



じゃあ、私は一体
なにをしてる時が楽しいだろう?




パッと思いつくものがひとつもない。





彼氏といる時が 楽しい のか
家族といる時が 楽しい のか


わからない。




そう考えるときっと私の中での

「楽しい」という感覚のハードルが
高いんじゃなかろうか、と思ったりもする。







きっと、今の私の状態でも
自分を愛せる人はいるだろうし
夢をもてる人もいるだろう、
楽しい、幸せと希望に満ちて過ごせる人もいるだろう



要は
考え方次第、受け取り方次第




わかってはいる。



(「わかってはいる」という言葉は
大体「わかってはいるけどわかりたくない」って言葉と同義だと私は思っている)






どうなりたい、とか
どうしたい、とか


しらねーよ、楽になりたい
なんならもう人生そこそこ生きたから
もう次でいいよはいどーぞー


ってくらいの心境なわけで。





こればっかりは考えても仕方がない。



いつの日か
やりたいことができるかもしれないし、
やりたいことがあるけど理由つけてやらないだけかもしれないし




燃え尽き症候群のような
この心の折れ具合は
一朝一夕ではどうにもならないんだろう、








どうなりたいか、
どうなりたくないか、


果たして今の私は
なりたくなかった私ではないのか、



私は、果たしてどうなりたかったのか、








きっと今
無理に答えを出す必要は、ない。











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